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東日本大震災を経験して、私の生き方は適当になった…っていう話。

Kosode Kaigan.JPG
"Kosode Kaigan" by Sed - 投稿者自身による作品. Licensed under CC 表示-継承 3.0 via ウィキメディア・コモンズ.



東日本大震災からもう4年半が経過しようとしている。
私の地元は岩手県久慈市で、2011年の夏に実家に帰ったときは、海辺に瓦礫が大量に積まれていた。そこにあったはずの家や会社、スーパーやホームセンター、マクドナルドや美容室が、跡形もなく消えていたり、枠組みだけの状態になっていたりした。
お盆だったから帰省した人なのか観光で来た人なのかはわからないけれど、岩手ナンバー以外の車を数台みかけた。みんな写真を撮っていた。

2011年3月11日の金曜日、私は東京にいた。その日は具合が悪くて仕事を休んでいた。14時46分、大きな揺れがあった。仕事を休んでいたくせに、私はその時間コンビニにいた。

今までに経験したことのない揺れだった。揺れの大きさが尋常じゃないと判断した店内の客、店員たちが店の外に出た。40代ぐらいの女性店員はタバコの棚を押さえながら「どうしたらいいの!?どうしたらいいの!?」と叫んでいた。「外に出よう!」と声をかけた人がいた。私は外に出た。

その時間、ちょうど小学生の帰宅時間だった。小学2年生ぐらいの子供が立っていられなくてしゃがむ瞬間をみた。数秒後、私も立っていられなくなってコンビニを出た数m先でしゃがみこんだ。

どのぐらい揺れが続いたのかはわからない。揺れが収まった後、窓の外から顔を出す住人が何人かいた。そして「震度7!」「震源地は宮城だって!」という会話が聞こえた。私は「そうか・・・」と思った。帰って父の仕事が終わったぐらいの時間に電話をしようと思った。


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家に帰ったらキッチンに置きっ放しにしていた卵が床に落ちて割れていた。 それ以外は特に被害はなかった。

テレビをつけて地震の情報を仕入れようとした。どの番組をみても震度のことしか言わなくて、少なくとも東京が混乱している状況がわかった。震源地が三陸沖で、東京でこれだけ混乱しているって……。私は、親が生きているか、死んでいないか、どうしたらいいのか、急に頭が真っ白になった。

15時ぐらいだったと思う。父に電話をかけたけれど繋がらなかった。そのあと何度も何度もかけた。3日か4日、繋がらなかった。繋がらない間に上司から「実家大丈夫?」と連絡が来たけれど、無視した。

テレビをつけるたびに、町が大きな波に飲み込まれる映像が流れた。地元の船が津波を回避しながら運転している様子が流れた。それが繰り返されるばかりだった。その繰り返される映像を見るたび、頭の中で脳みそがパンパンに腫れ上がるような感覚を覚えた。脳みそが耳まであふれ、詰まってテレビの音が聴こえづらくなる感じがした。テレビの音を聴きたくないという拒絶反応だったのかもしれない。
頬には例えようもないざわざわした少し熱くなるような感覚を覚えた。喉の両脇が膨らみ、呼吸が苦しくなった。「ううう、ううう」と泣き声は出ても涙は1滴か2滴しか出なかった。吐き気もした。「オエーッ」という声は出るのに、嘔吐物は出なかった。映像を見ているときだけではなかった。テレビを切ってもずっとそんなかんじだった。

数日が経ち、父と電話がつながった。
「生ぎでだが」「テレビでみでだら久慈がひどいごどさなってで」
父と電話がつながり安心したのも束の間、「電気が止まってた」「電話も繋がらなかった」「石油もない」「寒い」「スーパーに食べ物がない」「海の方は壊滅状態だ」「どうしようもない」という話を聞いた。言葉を失った。
何秒かして「何か送る」といったけれど「送ってもらっても届かない」と言われた。少し話して電話を切った。

1ヶ月経ったぐらいに仕事を辞めた。「あ、さいなら〜」ってぐらいカジュアルに仕事をやめた。しばらく落ち込んでいたけれど、仕事を辞めた帰り道は少し気持ちがラクになっていた。

また1ヶ月経ったぐらいの頃、適当に会社を見つけて適当に入社した。適当に探したせいで前の会社の社長と知り合いだという人が数人いる会社に入社してしまった。まあいいや、と思って適当に仕事をした。適当に仕事をしていたのになぜか褒められることが多かった。だけど、適当に営業のデータ管理をしていたことに関してはチクチク言われた。

仕事が適当になった。
食事が適当になった。
休日を適当に過ごした。
スケジュールの管理をしなくなった(なおった)。
ネット代を滞納するようになった(なおった)。
携帯代を滞納するようになった(なおった)。

震災後、私はずいぶん適当な人間になってしまったと思う。その前までの私は、適当であることが許せなくて、自分へも他人へもきつく当たることが多かった。ヒステリックになることが多かった。口癖は「ガッデム!!!」だった。

いやだと思った相手を追い詰めたりはしないものの「どうしてアイツは○○なんだ!」と怒ったりすることが多かった。でも、それがもう全部どっかにいってしまった。たまにイラッとする人がいても「キャッ!変な人☆」って思ったり、「出、出〜wwwww」とか思ってなんかもうユーモアとかギャグに変換して笑ってしまうようになった。
他人に本気になって怒ったり悲しんだりすることが、すごくバカバカしいと思うようになってしまった。徐々に徐々にそういう風になってきて、4年で脱皮ingした。


今どれだけ適当に生きているのだろう。
ぶっちゃけていうと、今の夫とは「どうせ恋愛感情なんてもって3〜4年らしいから誰でもいい」みたいな感じでくっついた。好きとか嫌いとかではなく、隣に人がいてくれたほうがいいという感覚で交際めいた感じになった。変な人じゃないから大丈夫かな〜ぐらいの思いで一緒に暮らした。「一緒に暮らしたほうが家賃がかからない」と思った。暮らし始めたのは「好きだから」じゃなくて「節約目的」だった。「気は確かなの?」と友人に言われて「ん〜、どうでしょうwww」と答えたこともあった。

さすがに結婚を決めるときは適当じゃないけれど、まあ、流れで結婚した。1年一緒に住んでだんだん好きになってきたし、多分この人は私を捨てないだろうなと思って結婚した。

書いてるうちに気づいたけど、適当に生き始めたってのは、情熱の90%を失ったってことなんだと思う。昔の自分は気持ち悪いぐらいに熱くなる人間だった。「為せば成る〜〜〜」って言葉で自分を奮い立たせて、真面目になりすぎて気を病むこともあった。情熱だけで突っ走って冷静さを欠いていたかな〜なんて、今にして思う。

震災を経験して「為せば成るなんて嘘っぱちじゃないか…」「なんだかんだ、どうにもならないことばかりじゃないのか?」と思うようになった。今までもっていた信仰めいたものを疑うようになった。
それから、仕事にも恋愛にも情熱をあまり持たなくなった。熱く生きても仕方ないって思うようになった。努力で気を病むことがバカバカしいと思うようになった。今までの自分の生き方はおかしかったんじゃないかと思うようになった。

仕事を適当にやることで、他人に過度な期待をしなくなった。そして、適当にやっていても別に怒られることもないんだな〜ということがわかった。

適当になってからは、自分も他人も適当に許すようになった。マイペースになった。他人の目もあまり気にならなくなった。疲れたときは「疲れた」というようになった。面倒くさいときは「面倒くさい」というようになった。なんだかラクになった。適当に生きるって結構いいものだなと思うようになった。

ただ、適当に生きるためにはユーモアセンスは不可欠だなーとも思っている。ただ適当だと自堕落になるだけで工夫も喜びも生まれない、それこそ苦しい人生になりそうだから。

疲れた。そろそろ書くのやめる(適当)。続きは書くかも?書かないかも?(適当)

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