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父子家庭育ちの娘が感じてきた世界




私は小学生の頃に母を亡くしたので、父子家庭で育ちました。
私には姉もいるのですが、その姉は知的障害。平日は養護学校の寄宿舎、卒業してからは障害者施設に入所していました。ですので、普段は私と父の2人暮らしでした。

父のことはすごく尊敬しています。
仕事熱心な人ですし、何より、男手ひとつで私のことを育ててくれました。大学にまで入れてくれました。
今にして思うと、父が私の父で、本当によかったです。
私が父の立場だったら耐えられるでしょうか…。
妻を急に亡くし、小学生の娘と最重度の知的障害の娘の面倒をみなくてはいけない。さらには自分の会社で雇用している人たちの面倒もみなくてはいけない。売上をあげなくてはいけない。メシを喰わせなくてはいけない…。




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「可哀想」って言わないで


1度、すごく父を困らせてしまったことがありました。6年生の頃、近くに住んでいた同級生に、 玄関に置いていたゴミ袋をみられたことがあったのです。
父は料理が得意な人ではありませんでしたから、夕飯は買ってきたお弁当だったり、ご飯は 炊いて、お惣菜を買ってきて食べるような暮らしをしていました。
そのお弁当の箱、お惣菜のプラスチックのパックが入ったゴミ袋をみて、同級生が私にいいました。

「お母さんがいなくてかわいそうだね」「料理はしないの?」

悪気はなかったと思います。ただ、そう思ったからそう言っただけだと思います。傷つけようとしてきたわけではありません。でも、言葉にはしなかったものの、私はずっと他の子とは違う「母親がいない」「父子家庭」ということが、すごくすごく嫌でした。かわいそうだと思われるのが嫌でした。「かわいそうだね。」と言われた瞬間、今まで心の中で漏れないようにと蓋していた濁ったドロドロした液体めいたものが、ちょっとはみ出て漏れてきたのがわかりました。わかりませんよね、この例え(焦)。

その日の夕方から夜にかけて、私はずっと泣いていました。父が帰ってきて「どうした?」と聞いてきたときに「お母さんがほしい」「どうしてお母さんは死んだの」と言ってしまいました。言ってはいけない言葉だとわかっていたのに言ってしまいました。離婚でもなければ、父が悪いわけでもありません。どうしようもないことです。
父がそのときどんな顔をしていたかはわかりませんが、困っている様子でした。後悔しました。いまでも時々思い出してしまいます。

母の日


父子家庭は、母の日が嫌でした。 「お母さんに何プレゼントする?」という話が、友達だけならいいのですが、担任の先生まで絡んで、母の日の数日前の道徳の時間に繰り広げられることもあったからです。だから5月が大嫌いでした。母の日だけじゃなく、「ゴールデンウィークは家族で○○に行ってきた」とう話も聞かされるし。

運動会


運動会が嫌でした。みんなは家族そろって校庭に敷かれたレジャーシートの上で、彩り豊かなお弁当をにぎやかに食べます。私はお昼に合わせてきてくれた父の車の中で、ビニール袋からおにぎりやらパンやらを出して食べます。みじめだと思いました。

今思えば、時間をつくってきてくれた父には感謝するべきでした。でも、私は不満でした。家族団らんを見せつけられながら車に行き、彩りのない昼飯を食べ、赤組の陣地に戻り、周りの子の「お弁当なんだった?」「○○ちゃんちと一緒に食べた」という会話が嫌でも耳に入ってくるという、この一連は苦行以外のなにものでもありませんでした。

遠足のとき、父は私に気を利かせて、会社の人にお弁当を作ってもらったことがありました。朝、「はい」と渡されました。あのお弁当はすごく美味しかったです。べったりと貼りついたおにぎりの海苔の香りも今思い出せますし、中にいくらが入っていて、その味も覚えています。唐揚げも入っていました。卵焼きは甘かったです。


夜が嫌でした。放課後、家に帰ってきてから父が帰ってくるのを待っている夜が嫌でした。母が亡くなってから家に仏壇が設置され、その仏壇が子供ながらにゾクッとするというか、見張られているような感じがして、なんだかこわかったです。
また、留守番している間に「誰か家に人が来たらどうしよう」というのもありました。来たら来たで普通に出ればいいだけなのですが、私は掃除が苦手でした。掃除をしていない家に人が訪ねてくるというのが嫌だったのです。

初潮


生理ナプキンのつけかたがわからずアタフタ。あかん・・・割愛!

太った


太ったのも嫌でした。食べ過ぎました(父子家庭関係ある?)。


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他の子と同じだと思われたかった


子供の頃は、父子家庭というのがものすごく嫌でした。「可哀想だ」という目で見られることもそうでしたし、洗濯を干しているところを見られて、「えらいね」と褒められるのも嫌でした。えらいも何も、洗濯をしないと服がなくなります。
「父子家庭だね」「お母さんがいないね」という感じで見られるのが嫌でした。区別して見られるのが嫌でした。
「何かあったら相談してね」も嫌でした。ひねくれたクソムシでした。

当時は、毎日が寂しかったです。
あの頃、自分の気持ちをわかってくれる人は誰もいないと思って、悩みながら生きていました。
あの頃、隠れていたい、もしくは、死んでしまいたいと思って生きていました。
誰もわかってくれないと思っていたから、自分とばかり向き合っていました。自分と向き合っていくうちに、自分が嫌いなのに、自己愛ゆえか自分が可愛く思えたりもして、もっと可愛くなるためにユーモアセンスに磨きをかけ始めました。

ユーモアや道化を磨いていたら、毎日がちょっとずつ楽しくなりました。不幸を不幸と思うことが、だんだん減っていきました。

フラストレーションに花束を


子供の頃は、悲劇のヒロインになり、自分ほど不幸な人間がいるものかと思うことが多かったのですが、大人になったいま、私はこの育ちのおかげで、味のある人間になったかなー、よかったなーと思っています。

つらいとき、自分で自分を笑わせることができて、コンプレックスさえも武器だと思えるようになったのは、過去の鬱屈があるからこそだと思います。

この育ちじゃなかったら「不幸を不幸と思わない」=「最強」ということに気づけていなかったかもしれません。
あの頃の私は「不幸だ」と思っていたから不幸だっただけで、思い起こせば何も不自由することなく暮らしていました。何を堕天使になりきっていたのでしょう。
私はもうあの頃のように不幸でいたくはありませんから、何があっても「不幸だ」と思うことはしません。幸せに生きるための戦略。

そして私がいま、幸せでいられるのは父の頑張りがあったからこそです。父がしっかりした人だから、今ここで幸せだと思える日々を送れているんだと思います。ありがとう、おとう。

今は父を地元に残して、私が東京にいることにちょっとモヤってますが…今日はここまでです。

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